この記事では、私が不登校になるまでの経緯と、不登校になってつらかったことを綴ります。
当時の記憶を振り返る内容になるので、同じような経験をされた方は、嫌な記憶がよみがえってしまうかもしれません。
無理せず、体調と相談しながら見てもらえたら嬉しいです。
不登校になるまで
中学に入学してすぐ、気づいたら孤立していた
中学に入学したとき、同じ小学校から来た人はクラスに2人だけで、もともとの友達はいませんでした。
入学初日の自己紹介のあとは、私の周りに人だかりができるくらいでした。
絵を描けるというわかりやすい特技があったからだと思います。
でも、だんだんと人が離れていきました。
今思えば、理由はシンプルで、私から話しかけることがなかったんです。
気づいたときには、クラスのあちこちにグループができていて、私はどこにも入れていませんでした。
唯一「友達になれるかも」と思っていた子も、入学から1か月ほどで学校に来なくなってしまいました。
こうして私は、いつの間にか孤立していました。
学校生活そのものが苦行だった
学校生活のいたるところに、私にとってのハードルがありました。
授業中に先生に当てられると、ひどく緊張してしまう。
これは幼いころからずっとそうでしたが、中学になって当てられる機会が増えました。
体育の授業で集合場所を間違える。
給食を食べるための列に並んだり、席につくまでに座っている他の人の間を通り抜けるだけで「もたもたして周りを不快にさせてしまうんじゃないか」「ぶつかったらどうしよう」と怖くなる。
今、客観的に考えなおせば些細なことだと感じます。
でも当時の私には、どれも重くのしかかる困難でした。
「孤立した状態」がしんどく、「孤立した自分」が恥ずかしかった
孤立していると、学校生活のあらゆる場面がしんどくなります。
休み時間は苦痛でした。
クラスメイトがそれぞれのグループで話したり笑ったりしている中、自分だけ居場所がない。
時間をどうやり過ごせばいいか、毎日わからないまま過ごしていました。
体育の授業で「二人組をつくって」と言われる瞬間も、苦痛でした。
最後まで余って、仕方なく私と組まされた人が、嫌そうな顔をした気がして「申し訳ない」という気持ちでいっぱいになりました。
実際にそう思われていたかどうかは、今となってはわかりません。
でも当時の私には、そう見えていました。
体育祭、合唱祭、校外学習。
普通なら楽しいはずのイベントも、孤立している状態では苦痛でしかありませんでした。
そして何より、「孤立している自分」が、その場にいてはいけない異物のように感じられて、ずっと恥ずかしく思っていました。
ただそこにいるだけで、縮こまりたくなるような気持ちが続いていました。
社交不安の症状が、どんどん強くなっていった
今振り返ると、このころから、高校生の時に診断を受けることになる「社交不安障害」の症状が強くなりました。
周りに人がいるだけで、強い緊張と不安を感じる。
「自分のことを変だと思われていないか」
「周りを不快にさせていないか」
という考えが頭から離れない。
話すときにどもったり、手に大量の汗をかいたり、顔がすごく熱くなる。
中でもしんどかったのが、過去の自分の言動を何度も何度も繰り返し思い出して、責め続けてしまうことでした。
先週の会話、去年の出来事、ずっと前の恥ずかしい記憶が、何の前触れもなく頭の中に浮かんでくる。
それが一日に10回以上ありました。
限界がきた
学校にいるのがつらい。
家に帰っても、学校のことを思い出して泣いてしまう。
登校中、このまま学校に向かうか、車に轢かれるか、本気で迷ったこともありました。
下校中、何も考えていないのに涙が出る日もありました。
そんなある日、風邪で学校を休みました。
そのとき、あまりにも楽だと気づいてしまったんです。
学校に行かないと、こんなに穏やかでいられるのか、と。
それから「行きたくない」「行くべきではない」という気持ちが、どんどん強くなっていきました。
不登校になってつらかったこと
学校に行かないことを親に認めてもらえない
学校がつらい、行きたくない、と親に伝えても、最初の数か月はどう話しても「ダメ」の一点張りでした。
「将来どうするの」と言われて、「私が目指している仕事は学歴が関係ないから大丈夫」と伝えても、認めてもらえませんでした。
自分の気持ちをうまく言葉にできなかった
不登校になりたいと訴えたとき、今思うと私の気持ちをうまく伝えられていませんでした。
当時の私が実際に言った言葉で
「学校にいる人みんなに目がついていて、脳があるってことが怖い」
というものがあります。
(これは少し極端な例ですが…)
母の反応は「そんなふうに考えたことない、気持ち悪い」でした。
今の私が、当時の気持ちを代わりに言葉にするとしたら、こういうことだったと思います。
クラスメイト一人ひとりに、それぞれの意識があって、それぞれのことを考えている。
もしかしたら私のことを嫌いな人がいるかもしれない。
廊下を通り過ぎる人でさえ、私がぶつかったり変な行動をとったりしたら、不快に思うかもしれない。
その人が何を考えているかは、私にはわからない。
みんなを「敵」だとも「怖い存在」だとも思っていない。
むしろ逆で、みんなそれぞれ尊重されるべき大切な人間だと思っていたからこそ、嫌われることが怖いし、不快にさせることが怖い。
今でも言葉にするのが難しいくらいです。
渦中にいた当時の、まだ幼かった私には、なおさら無理な話でした。
信頼していた母に理解してもらえなかったことは、かなり大きなショックでした。
無理やり学校に連れていかれた
ある日、「学校まで車で送るから、乗るだけでいい」と言われました。「学校の前まで行って、それでも行けない姿を見せれば、気持ちをわかってもらえるかもしれない」と思って、その言葉に従いました。
でも学校の前で「行けない」と言うと、母が担任の先生を電話で呼び出して、行かざるを得ない状況にされてしまいました。
今思えば、先生が来ても「行かない」と言えばよかったです。
でも当時の私には、それができませんでした。
怒鳴られる、私が原因で両親が喧嘩をする
父にトラウマがあるので、父に怒鳴られるのはキツかったです。
「(筆者)があんなことになったのはお前のせいだ」と両親がお互いに言い合って喧嘩をしたことも、つらい思い出の一つです。
「自分がおかしい」と思い続けた
当時、「社交不安障害」という言葉を知りませんでした。
いじめられていたわけでも、病気でもないのに学校に行けない。
だから、自分がおかしいんだと思っていました。
不登校時代について今思うこと
「ああしていれば」「こうしていれば」と思っていたこともありますが、不登校になったことを私は後悔していません。
なぜなら私は、その時に自分ができる全力をやっていたからです。
きちんと学校に通うことが素晴らしいことなのは、その通りだと思います。
ですが、あの状態のまま学校に行き続けていたら、きっと苦しんでいたと今でも思っています。
不登校になるという選択は、私にとって獣道を進んでいくようなものでした。
どこに繋がっているのかもわからない、困難も多い不安定な道です。
でも、みんなが歩く大通りよりも、獣道の方が私にはずっと「進むべき道」だと感じていました。
そして、その判断は間違っていなかったと、今でも思っています。
いま、過去の私にひとつアドバイスをするなら、「不登校であることに後ろめたさを感じなくていい」と言いたいです。

